気づきと捧げ

先週から年末年始を含む14日間連続のクリパルヨガ教師トレーニング(YTT)が始まった。朝から晩まで、クリスマスも大晦日も正月もないヨガ三昧のスケジュールで、参加メンバーばかりでなく、3人のアシスタントも、そしてディレクターの自分も気が抜けない毎日だ。

クリパルセンター本部のYTTプログラムと照らし合わせ、一つひとつの内容を確認しながら進行していくには、時には、過去の録音データを基に自分自身の伝え方を聞き返さなくてはならない。その確認作業の中で見えてくる自分のクリパルヨガへの愛着に似た「思い入れ」と、クリパルヨガはこうでなければならないという「思い込み」が混同していることに気づくことがある。

自分が長年クリパルヨガをしてきたのは、それが心身の健康や精神的成長に必要だったからで、その良さがなければここまで続けることはなかっただろう。しかし、「自分にとっていいこと」は「誰にとってもいいこと」とは限らない。それを、自分にとっていいこと=誰にとってもいいこと、と決めつけると、どこかでそれが「正しいのだ」という思いにすり替わってしまう。

録音データを聞き返すと、時折、無意識に使う「~すべきだ」「~はこうあるべきだ」という断定表現の裏に、そのすり替えが起きていることに気づく。しかも、その口調が強く、とても耳につく。自分の傲慢さや太々しさが伝わってきて恥ずかしくなるのだ。

今回のYTTでは、妻に自分のティーチングを客観的に見てもらい、過剰な断定や生意気な響きがないか、クラスの後ろから観察してもらうことにした。

すると開始4日目、人間の心のあり方を話している時に、「~すべきでない!」という発言が断定的に聞こえたと妻に指摘された。気恥ずかしさはあったが、ありがたい指摘として受け止め、次へ生かすことにした。そして、迎えた7日目、クリパルヨガの概論を夢中で説明しているときに「~すべきです!」と発言した瞬間の自分に気づいた。すでに指摘されていた表現だからこそ、リアルタイムに気づくことができたのだろう。その場で、参加メンバーに表現が断定的であったことを認め、違う表現で言い直した。

気づきがなくては学びは起きない。だが、気づきは周囲の人の存在があるからこそ促されることもある。グループが一つになり、互いの学びを支え合う安全な環境の中でYTTのプログラムは進行する。自分の体験から気づいたことを人に伝える努力、それをクリパルでは批判や批評ではなく、捧げ(オファー)と呼ぶ。

自分の体験を生かし、それによって他者が学びを深めていく。これがクリパルヨガの神聖な学びの環境作りだ。この安全な環境を整えることをクリパル・ジャパンYoga of Lifeの精神として2013年の新年を迎えたい。

三浦徒志郎

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