愛を与える機会

昨晩、帰宅途中の電車で、小さな女の子の鳴き声が聞こえてきた。いつまでたっても泣き止まない。しだいにエスカレートして、叫び声に変わっていた。言葉らしき言葉は聞こえないが、明らかに「嫌だ!」という意思が伝わってくる。

さすがに周囲の乗客も何事かと子供の方に目を向け始めた。自分も気になって見回すが、人混みの中でよく見えない。わずかに見える光景の中、母親が子供に何かを説得しているようだった。そんなことが10分~20分は続いただろう。「抱きしめてあげればいいのに」そう思って目を閉じると、泣き叫ぶ自分の子供の姿が浮かんでくる。向かいに座っている年配の女性は、「まあ、まあ、大変ね」と言った表情で微笑んでいる。

何か出来ることはないだろうか。近寄って抱いてあげたいが、見ず知らずの中年男に抱きかかえられたら、それこそ女の子はパニックになるかもしれない。「どうしたの?」と話しかけても泣き止む状態ではなさそうだ。そもそも母親がいるのだから自分が出しゃばる幕ではない、という思いが先立ち、自分の気持ちは萎縮してしまう。やがて自分の乗り継ぎ駅に着いて電車を降りた。内心ほっとしたような、それでいて、何もできなかった虚しさを残して。

偶然 、妻も昨日、母親の愛を求めて泣く近所の子供と、それに応える代わりに理屈で泣き止ませようとする母親の間で、ただ、その子供を抱いてあげたくてもそれが出来なかったという体験を話してくれた。とてもあたり前のことで、誰もが必要としている愛を、今の社会の中では与えることも受け止めることもできない状況が多い。

しかし、そんな垣根を作らずに自由に周囲が愛を与え、それを受け止められる社会のあり方も可能ではないだろうか。そんな希望を持ち続け、家族の中では愛を奪う垣根は作らずにいたい。

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