グル(精神的指導者)

精神世界の放浪者が当たり前のようにグル(精神的指導者)を求め彷徨っていた60~70年代、自分もその一員だった。グルには、今の自分はもちろん、過去生までも見抜かれているようで、心の中で神格化したグルを前に敬虔の念を抱いていた。

グルの下でヨガを習うほとんどの者は、自分自身の精神的成長のために弟子入りした。人にヨガを教えるために弟子入りすることなど考えられないことだった。仮に指導する側に立ったとしても、自分自身のグルを自分が超えることなどは想像もしなかったし、超えてはならない存在だった。

多くのグルは、たくさんの迷う人々に希望を与えてくれた。しかし、その反面、師弟関係の中にいろいろと問題が生じることもあった。師の発言や存在が絶対視される傾向の中で、弟子たちが真に成長し成熟したのか疑問視する点もあっただろう。

当時と比較して、今は、むしろグルがいないことを肯定的に捉える時代になっていると思う。昨年のヨガ日光でメイン教師だったショーン・コーンが、ヴィンヤーサやパワーヨガを「グルのいない流派」として、肯定的な意味合いで説明していたことが、自分にはとても印象的だった。

今、自分にはグルはいない。しかし、自分より偉大な存在であるグルを求め彷徨った過去の記憶が、どこかで、自分がグルのように振る舞わないように歯止めをかけている気がする。そんなことをしたら、生徒を騙すことにもなるばかりか、何よりも背伸びしている自分自身が惨めになる。「超えてはならない神性なもの」、そして、「超えられるわけがないちっぽけな自分」という枠の中で、自分はどこまでもこのままの自分自身でいることと向き合うことになる。

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