盗み(アステア)

NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で、坂本龍馬は、「国を変える志に私欲が入っては志ではない」と言って、自分の手柄への報酬を一切断っている。侍の精神は、無私の奉仕、カルマヨガそのものだと思った。

最近、死んでいる人間を生きていることにして、年金を騙し取る事件が問題になっている。しかも、私欲のために利用された死者が自分の親だというから信じられない。本来自分のものでないものを受け取ることは、相手が誰であろうと盗み(ヨガで言うアステア)に値する。

精神世界では、必要なものはすべて与えられているのが自然界の本来の姿だと言う。しかし、現実には、自分に必要なものさえなく、人の物を奪ってでもしなければ生きていけないほど、苦境に置かれている人たちがたくさんいる。奪い合う事でしか、生き延びていくことができない社会の構造を人間が作ってしまったとも言える。そう思うと、すべてを個人の問題にはできない。社会を作っている人間一人一人に課せられた社会的問題でもある。

先日、帰宅中に翻訳仕事ができるので、新宿始発で坐って帰ろうと駅のホームで待っていた。自分は前から3列目だから間違いなく坐れる。しかし、電車が到着し反対側のドアから乗客が降りているのに、体格の大きな男だけがこちらのドアの前でいつまでも待っている。「こっちから降りるつもりだ!」ドアが開いて男が降りる間、待っていた乗客は両端に追いやられ、案の定、車内に入ることができなかった。その数秒の間に、他のドアから流れ込んだ乗客がスイスイと空いた席に坐っていく。慌てた自分たちは、小走りに車内に入り込んだ。「こんなところで席の奪い合いはしたくない!」と思ったのは自分だけではないだろう。

人間誰もが楽をしたいし、得もしたい。だけど、そのために醜い奪い合いはしたくない。だから、順番という権利に関するマナーがあり、それによって節度を保とうとしている。しかし、気配りのない一人の行為によって、周囲の人間は節度が乱され冷静に振る舞えなくなってしまうこともある。マナーを守ろうとする人間同士の権利を奪う行為も、一種の盗み(アステア)ではないだろうか。

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