心の不安、体の浄化

年末年始に10日間の瞑想コースに参加した。1984年から1~2年ごと必要性を感じるたびに参加してきたが、今回は4年ぶりだった。

この4年間を振り返り、その間の会社設立、再婚、転居、YTTの開催、父の他界、子供の誕生と、大きな転機をいくつも通過して来たことに改めて驚く。毎日の忙しさは尋常ではなかった。皮膚の張りがなくなり顔の皺も増えた。決断が出来ない状況に戸惑ったり、判断を誤ることもあった。これはいい加減にヤバイと感じる直感を優先して、行きたがらずに抵抗するもう一人の自分の心をなだめて参加することにした。
早朝から、毎日12時間の瞑想の連続。最初の数日は、いわゆる雑念だらけだ。日頃から気がかりなことが次から次へと浮かんでくる。妻や息子のことは、ほとんど心に浮かばない。気にしないからなのではなく、何の不安も問題も感じないからだ。心に浮かぶものは何であれ浄化だと理解して、そのまま浮かんでは消えるままにしておく。

やがて、数日もすると、雑念が少なくなり、心の集中が高まり、同時に呼吸がぐっと深まっていた。昔は、その先の涅槃の境地を得たくて、無我夢中になって座り続けたものだが、最近は、その欲がない。最初の数日だけで、「もう来た甲斐があった!」と満足してしまう。10日目が来る頃まで、ただ、たんたんと座る日々が続いた。

東京に来て7年目の正月。これからの7年に向かって、自分が本当にしたかったことを再確認した静かで貴重な時間となった。しかし、同時に心の奥で、未来に向かって手放さなくてはならない自分のこだわりや、変化に対する不安が浮上していたのかもしれない。

分かっていながら手放せない心の不安は、正直なくらいに浄化として現れる。コースから出て間もなくトイレに行きたくなった。駆けつけたトイレで、助けを求めたくなるほど苦しい排便が始まり2時間近く閉じ込められた。「手放したい!でも、手放せない!」体からの正直な悲鳴だったのかもしれない。

静かで落ち着いた瞑想がこんな状態で終結するとは予想外だった。終わったと思っていたら、終わっていない。落ち着いていたと思ったら、嵐の前の静けさだった。心も体も最後まで侮れない。正月早々、生命の持つ知恵は甘く見てはいけないと反省した。

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