たたかい続ける人の心

昨日、妻と話していたこと、、、
「誰かがしているのなら、その人に任せたくなるけど、誰もしないのなら、自分がやってしまう」という人の心理。

人と何かをするのは摩擦も起きるし、エネルギーもいる。その点、一人でなら気楽だし、自分の好きなようにできる。

自分は50を過ぎる今日まで、周囲と違うことばかりしてきた。振り返れば、他人がほとんど考えもしなければ、興味も持たないことばかりだ。運動部を辞めて、新聞配達で体を鍛え、受験勉強中の級友たちを横目に、自転車旅行に飛び出し、自然回帰!と叫んで農業大学を選び、アメリカに渡った。

自分の場合、誰もしないことをする裏には、もう少し深いわけがある。

「たたかい続ける人の心を誰もが分かっているなら
たたかい続ける人の心はあんなには燃えないだろう、、、」

青春時代に自分が強く共感した吉田拓郎の「イメージの詩」の一節だ。

「人に伝えたい」とよく言うが、それは裏を返せば自分の心を分かって欲しいのだ。当然のことだが、分かってくれなければ、さらに心は燃えていく。

20年程前、ヨガをしていても見向きもされなかった。むしろ白い目で見られた。そんな時、アメリカからロール巻でヨガマットを注文して、生徒に一枚一枚カッターで切って配った。「アメリカではこんな風にヨガが流行っているんです!」って。

本気で、真面目にそんなことばかりしていた。

日本は、今、ヨガをすることに怪しさを感じる人は少なくなった。しかし、一時のブームが去り、どれだけ人々の生活に根付いただろうか。心底の願いを何年もかけて熟成してきたアメリカと比べて、日本のヨガの広がりは、まだまだこれからだと思う。

先日、娘が電話してきた。「新しいスタジオに移転したら、お父さんはもっと忙しくなるんでしょ。昔みたいに田舎で暮らして、好きなものを手作りして、のんびりしてもいいんじゃない?」

娘の言いたいことは痛いほど分かる。人から見ればどうでもいいことかも知れない。見ない振りをしていれば楽だろう。だけど、「何か違う!」「これだけじゃない!」って感じる自分の心は本気だ。行動してだめなら納得もするが、何もしなければ、後で悔いるだろう。

小心者の欲望かもしれない。だけど、「分かってもらわなくてもいい」と悟った振りをするのは、自分の性分に合わない。

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