勝負とエッジと慈悲の心

昨年、息子がサッカーを始めた。それから、時々試合に出掛けるようになり、その度に、朝早くからお弁当を作って遠くまで引率している。

試合を見守りながら、勝負事とは、勝つか負けるかなんだなと改めて思った。私は、子ども達がボールを競るとき、相手に負けないで、引いちゃダメだ、前へ出ろと時には声に出して叫ぶ。そして、心から躊躇なく、そう叫んでいる。そんな自分を実はどこかで、興味深く感じている。なぜなら、私自身が子どもだった頃、勝つか負けるかの勝負事に対して、全くと言っていいほど向かい合っていけなかったからだ。勝負の結果が出ることによって、落ち込んだり、悔しい思いをする人がいる一方で、得意になったり喜んだりする人がいるのが嫌だった。しかし、今思えば、必死でぶつかりあうことで、人を傷つけたり、自分が傷つくのが、怖かったのかもしれない。

相手にぶつかる恐れや不安、心臓をドキドキさせてその瞬間にいる子ども達の勝負の場は、クリパルヨガで言う「エッジ」(瀬戸際)だ。心身のエネルギーが増すエッジに立つと、逃げるか、戦うかの反応をしたり、過去のパターンを繰り返してしまうことが多い。しかし、そこで、留まり、感覚を感じて、リラックスして、本当に自分の望む行為を選ぶことこそ、私が応援したい、チャレンジしたいあり方なのだ。

だから私は、子ども達に「負けるな」と伝える時、相手にというよりむしろ、自分に負けるなと言っているような気がする。結果如何ではなく、全力を出すこと。不安に負けずやってみること。そういうまっすぐさや素直さを体で体験することの大切さが大人になってやっと分かってきたし、サッカーの試合というシンプルな世界で、それを体験することの安全さを、しみじみと感じるからだ。

子ども達を見守る親がいるように、大人が自分自身に向かう時にも、自分を信じて応援するサポーターが心の中にいるといいなと思う。○か×のような切羽詰まった挑戦ではなく、もっと穏やかでおおらかに自らを見守る慈悲の心を持てたら、安心して、真心や実力を発揮しやすくなるのではないか。

息子の試合は4戦4敗、惨敗だったが、そこから学ぶことは実に多い。勝負の素晴らしさ、エッジは成長の最先端、そして、慈悲を大切に・・・。

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