カルマについて①

今回から、カルマについて考えてみます。
カルマという言葉には、そもそも行為という意味があります。一つの行為によってある体験をすると、その体験から一つの認識が生じます。この認識の仕方が、また、新たな行為に繋がるというわけです。この行為と認識が、お互いに原因と結果になる法則をカルマと呼びます。

つまり、カルマとは、すべてのことには、原因があり、結果があるという因果の法則のことです。水の中では、重い物は沈み、軽い物は浮かぶという自然現象があるように、人生にはカルマという自然の摂理があるのです。

一般的に、私たちが苦難に出会ったり、幸運に恵まれると、過去の行い、カルマによるものだとする見方があります。因果の法則により、すべての出来事には原因があるとは言え、不幸な目に会っている人に「行いが悪いからだ」などと断定的な判断をすることはとても危険なことです。

また、結果に対する原因は、無数の要素が絡んでいることが多いので、一つだけを原因として特定することは不可能に近いことです。自分のおかれた境遇において、その原因はどこにあるのかと謙虚に探求する姿勢は大切であっても、その原因は最終的に分からなくてもいいことだと思います。早急に決めつけることは、事実を歪めてしまうことにもなるからです。

本来、カルマとは、いいものでも、悪いものでもありません。それをどう受け止めるかは、非常に個人的で異なるものです。本人がどう受け止めていくかによって、カルマがよくも悪くもなるのです。
例えば、自分がヨガクラスを指導したとします。たまたま、そのクラスには数人しか集まらず、自分の指導法には問題があるのかと思うと、その判断により自信を失い、次のクラスでは、神経質になり過ぎて集中力が欠け、メリハリのない指導になってしまうかもしれません。

現実に起きた体験は、「数人の参加者がいるヨガクラスを指導した」ということであって、それ以上でも、それ以下でもないはずです。参加者が数人だったことの原因は、指導者のクラスや指導法に対する生徒の評価、クラスの時間や場所、参加した理由、しなかった理由はさまざまでしょう。結果には原因があるとは言え、その原因は無数の要因によって成り立っているので、最終的には、一つだけの要因に絞ることは難しいものです。

さらに、参加者が「数人しか来なくてダメだった」と解釈・評価するか、それとも「数人でも来てくれてよかった」と解釈・評価するかは、人によっても、また、自分自身のその時の心身の状態によっても異なり、その認識が生む行為もまた異なります。

自分の行為をどう解釈・評価するかという認識の仕方が原因となって、さらに次の行動が結果として決まってきます。「ダメだった」と認識して不安を抱きながら次のクラスに挑めば、参加者も不安や緊張を察して、落ち着かずに次回からは来なくなるかもしれません。逆に、「よかった」と認識すれば、さらに参加者と共に集中してメリハリのあるクラスができて、また参加してくれるかもしれません。(続く)

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