男と女

先日、長男の1歳検診に出かけた。担当の男性相談員が、息子の気を引こうとしても玩具に夢中になってまったく注意を向けない。「男の子だね、、、男は自分の都合のいい事には答えるが、そうでないと人の話は聞かないよね」と笑っていた。

何だか自分のことを指摘されたようで納得。男女の違いと言えば少し前に流行った「話を聞かない男、地図が読めない女」や「男は火星から、女は金星からやってきた」といった本を思い出す。

男はひたすら自分の世界に入り込み(瞑想に耽る)、いざという時の戦に備える(アーサナを極める)。女は危険となれば身を潜め、危険が去れば蓄積した不安を仲間と発散(ワイワイおしゃべり)、そして、情報交換することで生き延びようとする(シェアリング)。

男は自分の居場所が分からないと不安で、位置関係を示す枠組み(地図)を持ち、どこから来てどこへ向かおうとしているか常に頭で把握したがる。基本的に自分以外を信じないから人の話は聞かない。女は、基本的に何が起きてもへっちゃら。道に迷えば人に聞けばいいと思っている。「今、ここにいる」ことは得意で、理屈ではなく感覚的にその場を楽しんでしまう。女性は、基本的に常に神(自然)と共にいる。「くよくよしても仕様がないじゃん」と大きく地母神のように構えた図太さがある。男の自分にはかなわない。

神はエネルギーだとよく言われるが、それならば神との融合体験は、理屈ではなく感覚的なもの。それを体験したくても頭でっかちの男には至難の技。それを渇望すればするほど、必死で自分をマインドで統御したがる。古代から男が修行でマインドをコントロールしようとしてきたのは、そんなことが理由なのかもしれない。女性は元々神に近い存在だから、男と同じ道を歩む必要もなかったのかもしれない。

もちろん、人間の本質は、男女を超えて共通するものはある。しかし、同時に、性別、文化、時代によって、個々の人間は千差万別。自分がヨガを始めて興味を持ったのは、人間の「本質は同じ」ということだけでなく、「個々は違う」ということだった。日米文化の飛び交う最初の結婚生活の中で、自分が男として、日本人としてどう生きたらいいのか。実は、そのことの方が現実には差し迫った課題だった。

自分はそのモデルとなるべき男を探し求めた。同じようなことは、女性にとっても当てはまるのではないか。そんなことを思いながら大半が女性を占めるヨガクラスを指導してきた。

自分のクリパルヨガは、あくまでも男であり日本人である自分の体験から捕らえたもの。アメリカでも、個々の思いや感情を大切にするクリパルヨガはとても女性的だと言われている。女性が日常にヨガを生かしたいのなら、女性の観点からクリパルヨガを体験する必要もあるのではないだろうか?日本人女性がアレンジしたらどんな風になるのか。そんな長年の願いが、今月、3人の女性教師=シャクティ・シスターズ=による「クリパルヨガの基礎」の試みになって始まる。

プログラムディレクターとしての自分はあくまでも相談役。賑やかでクリエイティブな発想に満ち溢れた彼女らの打ち合わせに立ち会いながら、ボクの中の男がまた「かなわない!」とつぶやいた。

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