Yes-Noの必然

4月、息子が2歳の誕生日を迎える。今まで、黙って私たちの 話を聞き、不都合があると泣いて知らせていた彼が、少し前に「No」の意思を口にし始めた。

「ないない」「ばいばい」嫌だと言う意味で、結構頻繁に使う。逆にオッケーな時は二カッと笑うだけ。言葉はない。だから親のほうは大変だ。何ならオッケーなのか、どうしたら状況を変えられるのか、分からなくて困る。

それが、最近「Yes」の言葉を口にし始めた。「うん」と言ってうなずく。この「うん」が私にはとてもありがたいものだった。受け止めてくれた、これでいいと言い切ってくれた、そういう風に聞こえほっとした。

そして、人間は、まずはNoから相手に伝え始めるんだな、と思った。Noはただ、それじゃないと言っているだけで、なにかをコミットしているわけではない。意思は伝えるけど、無責任でいられる言葉。一方、Yesと言葉にしたら、それは何かをオッケーと認める責任が伴う、だからこの順番なのか?と思った。

夫にその話した所、まずNoと言うのは、きっと自分を守るための本能的なものなのだろう。大泣きでNoを連発するときに、息子が一番泣き止むのは、その理由を聞いたり、代替になるものを提案したりするのではなく、ただ「嫌なんだね」とそのまま受け止めてあげたときだよ、とも言っていた。

自分にとって危険に思えることに対して、「No」ということは、自然なこと。その気持ちを否定しないで、受け止めてもらえたら人は安心していくんだろう。そしてその安心を重ねて初めて、責任を伴うYesが言えるようになるのではないか。実際に、そうなのかどうか、は知りようがないけれど、そんな風に目の前で起こることの後ろにある意味を探求していくのは、とても楽しい。

そして子供に起こっていることは、往々にして私たちにも起こっている普遍的な事実を含んでいることが多いのだ。自分自身が「いやいや」している時、そうなんだねと自分が受け止めてあげたいと思う。そうしたらその後、きっぱりと責任を持って、リラックスしてYesといえそうな気がする。Omは応諾、おう!と言って受け止めることと何年か前にある講義で聞いたことがあるが、そのプロセスを大切にしたい。

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