クリパルヨガの特徴⑩:リアルである実践

前回、物事をしっかりと見極めるために、ヨガや瞑想で、まず最初に行なうのは、どこまでも判断をせずに観察し続ける練習だという話をしました。結果がどうであれ、一定の判断を下せば、何も分からず不安な状態でいるよりは安心できます。それだけに、心は不安に対して、または、未知に対して、居心地が悪ければ悪いほど、早急に結論を出したがるものです。

誰でも毎日のようにいろいろな事を判断しながら生きているのですから、判断する心そのものを否定しているのではありません。ただ、事実をきちんと見極める前に早まった判断をすると、真実を知る機会を逃してしまうということです。

だから、まずは、判断する心を静めていく必要があります。ヨガや瞑想で、まず最初に心を一カ所に集中させ静めるのは、そのためです。心を集中させ、判断する心を静めることで、起きている現実をそのまま観察し続ける。思考を介さずに、感覚的に現実を体験し始める。アーサナで、意識を思考でなく一瞬一瞬の肉体感覚に留めるのはそのためです。

体験していることに対して、判断しない、評価しない、答えを出さないのですから、その体験は、当然、未知の連続となります。そして、アーサナを通して未知の連続を体験することが、まさに未知に満ちあふれた人生そのものを体験していくことに繋がっていくのです。

未知であれば、不安や絶望や怒りや焦りが湧いてくることもあります。しかし、その体験に対し、判断をすることなく留まっていると、不安の先に畏敬の念が生まれたり、絶望の裏に希望の光を見たり、怒りの裏に愛や感謝が生まれてくることもあります。陰極まり陽に転ずるということです。体験を通して真実を見極めた時に湧いてくる答えは、心の判断によるものではなく、直感的な閃きであり、知恵です。

「人生はこうだ」と決めつけるのは思考であり、ただの定義でしかありません。人生は生々しく息づいています。クリパルヨガは、この生々しく、時には矛盾して混沌とした世界を体験することにたっぷり時間をかけます。この体験こそが、今、ここで起きているリアリティだからです。そこから私たちは多くのことを学び成長する可能性があると見るからです。

クリパルヨガは、予知できない未知とそれに伴う苦痛や悲しみや怒りを、決めつけという安全弁で封じ込めることはしません。喜びもあれば、悲しみもある。愛もあれば、憎しみもある。安定もあれば、不安定もある。物事を奇麗ごとで包み込もうとはしません。どこまでもリアルで、光に対しても影に対しても包括的でいようとします。判断することなくあるがままを観察するというのは、その為に最も重要なリアリティとの向き合い方なのです。

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